父死ぬみたい
あの憎かった父親がもうじき死ぬらしい。
敢えて曖昧な表現をしているのは、自分の目でまだ見ていないからだ。
どのように憎かったのか。
端的に言えば私に対しての愛情を感じたことがなかったということである。
父は感情表現が怒りでしか表現できない人であった。
どうやって母と結婚するまでに至ったのか、全くもって分からない。
母に言わせれば、成り行きと東京への憧れ。であるという。
その二人から産まれたのは私。
性格と気質は丁度二人の中間を取っていると自身で感じる。
顔は父寄りである。
街中で声を掛けられる母を見ると正直悔しい。
母と父がキスや言葉での愛情表現をしてるところは、私が産まれてからの今まで一度たりとも見たことがない。
また、父からの私への愛情もまた、記憶を辿って今までに感じとれることはなかった。
強烈に覚えている記憶は、いくつかある
父が仕事から普通に帰ってくると「空を飛んで帰ってきたよ」と言うこと。
父はパチンコと風俗が好きだったりして、時々酷く千鳥足で帰ってきたこと。全部ひっくるめられて「飲み会があった」と言った。
私が小学低学年の頃に玄関先で失禁してしまったときに父が責めず何も言わずに後始末をしてくれたこと。
父と口論になった時、「(そんな酷いことを言って)俺が死んだとき後悔するからな」と言われたこと。
父「大学に行くなら明治大学にいきなさい。」父のいた職場には出世する人は明大の人が多かったそう。それより下でも上でもだめで正直、訳が分からない。
しかしそのくらい。
時系列のとおりある。
この中にある
父と口論になった時に、「俺が死んだとき後悔するからな」と言われたこと。
これに私は「死ぬときは思いっきり罵倒してあげるよ」と答えたと思う。
捻くれ者である私はこれを実行しようと思う。
今少し離れたところに住んでいるが、母に呼ばれたので実家に帰るならやろうと思う。
感謝をするとすれば上に書いた失禁の件だけで、いつしか父は居ても居ないものとして扱った。愛情は受けなかった。嬉しいという感情を受け取ったのが、父からお金を貰ったときであったのがなんともいえない。くやしい。
父の姿は普段はサラリーマン、帰ってきたらオンラインゲームに勤しむ男であった。
私がオンラインゲームが楽しそうだからと5歳からお古のPCを使って父の遊んでいるゲームをやり始めた。どうしても父と遊びたく、父のいるスペースに行き、周囲のプレイヤーに覚え途中のローマ字入力で「むすめです」と言った。その場で父は憤慨し、後からは一切一緒にやらせてもらえなくなった。
かなしい。
それから、父は一人で集中するゲームを始めた。
当然邪魔されると上手くいかないので、酷く怒られる。
当時はまだ駆け出しであったFPSゲームにもチャレンジしていたようだが、徐々に身体の動きが鈍くなっているから、そんなに長くは続かなかった。
父は私と同じ「小脳脊髄変性症」である。
運動機能の病気であるので、性格や考え方に変化が生まれることはないという。
要介護になってもう10年とかになるか。数字をみると長い。
ここで書いたのは父の僅かな一部分であるが、父の良いところはすべて書いたつもりである。直接に暴力は一切受けなかったが、苦情はもっともっと・・泣き出すほどにある。
愛をもらえなかった分、私は言葉で憎しみを父にプレゼントしたいと思う。
母は能天気に何を考えて私を呼んでいるんだろうか、ね。
成功しても失敗しても、また書きます。