夢2023-09-15
夢日記mちゃんに罵倒される。内容はこうだ。小さい頃からお父さんが居るっていいね!お父さんがどうしたらいいのか全部教えてくれるんでしょうね!いいね!
肝心の私のお父さんは父親としての役割を果たしていたとは思えないし、なんなら小さい時はたまに遊んでくれるお兄さんおじさんくらいにしか感じなかった。呼び方がお父さんというだけ。小さい私はパパと呼ぶが。
mちゃんから罵倒された私は言う。私のお父さんは口が聞けないし、先月死んだよ!と。次いで私は言いたかった。親で自分の中身を決めるんじゃないよ、人のせいにするなよな。
父、亡くなりました。
四十九日がそろそろきます。
諸々落ち着いたらまた書きます。
父死ぬみたい
あの憎かった父親がもうじき死ぬらしい。
敢えて曖昧な表現をしているのは、自分の目でまだ見ていないからだ。
どのように憎かったのか。
端的に言えば私に対しての愛情を感じたことがなかったということである。
父は感情表現が怒りでしか表現できない人であった。
どうやって母と結婚するまでに至ったのか、全くもって分からない。
母に言わせれば、成り行きと東京への憧れ。であるという。
その二人から産まれたのは私。
性格と気質は丁度二人の中間を取っていると自身で感じる。
顔は父寄りである。
街中で声を掛けられる母を見ると正直悔しい。
母と父がキスや言葉での愛情表現をしてるところは、私が産まれてからの今まで一度たりとも見たことがない。
また、父からの私への愛情もまた、記憶を辿って今までに感じとれることはなかった。
強烈に覚えている記憶は、いくつかある
父が仕事から普通に帰ってくると「空を飛んで帰ってきたよ」と言うこと。
父はパチンコと風俗が好きだったりして、時々酷く千鳥足で帰ってきたこと。全部ひっくるめられて「飲み会があった」と言った。
私が小学低学年の頃に玄関先で失禁してしまったときに父が責めず何も言わずに後始末をしてくれたこと。
父と口論になった時、「(そんな酷いことを言って)俺が死んだとき後悔するからな」と言われたこと。
父「大学に行くなら明治大学にいきなさい。」父のいた職場には出世する人は明大の人が多かったそう。それより下でも上でもだめで正直、訳が分からない。
しかしそのくらい。
時系列のとおりある。
この中にある
父と口論になった時に、「俺が死んだとき後悔するからな」と言われたこと。
これに私は「死ぬときは思いっきり罵倒してあげるよ」と答えたと思う。
捻くれ者である私はこれを実行しようと思う。
今少し離れたところに住んでいるが、母に呼ばれたので実家に帰るならやろうと思う。
感謝をするとすれば上に書いた失禁の件だけで、いつしか父は居ても居ないものとして扱った。愛情は受けなかった。嬉しいという感情を受け取ったのが、父からお金を貰ったときであったのがなんともいえない。くやしい。
父の姿は普段はサラリーマン、帰ってきたらオンラインゲームに勤しむ男であった。
私がオンラインゲームが楽しそうだからと5歳からお古のPCを使って父の遊んでいるゲームをやり始めた。どうしても父と遊びたく、父のいるスペースに行き、周囲のプレイヤーに覚え途中のローマ字入力で「むすめです」と言った。その場で父は憤慨し、後からは一切一緒にやらせてもらえなくなった。
かなしい。
それから、父は一人で集中するゲームを始めた。
当然邪魔されると上手くいかないので、酷く怒られる。
当時はまだ駆け出しであったFPSゲームにもチャレンジしていたようだが、徐々に身体の動きが鈍くなっているから、そんなに長くは続かなかった。
父は私と同じ「小脳脊髄変性症」である。
運動機能の病気であるので、性格や考え方に変化が生まれることはないという。
要介護になってもう10年とかになるか。数字をみると長い。
ここで書いたのは父の僅かな一部分であるが、父の良いところはすべて書いたつもりである。直接に暴力は一切受けなかったが、苦情はもっともっと・・泣き出すほどにある。
愛をもらえなかった分、私は言葉で憎しみを父にプレゼントしたいと思う。
母は能天気に何を考えて私を呼んでいるんだろうか、ね。
成功しても失敗しても、また書きます。
ゆううつなみだ
ゆううつなみだ
どうして泣いているんだい。私の目をみて、あなたの目を見て。私の目をみて。
実に3か月ぶりのゆううつきたね。突如現れてしまったゆううつ。
あなたならどうする。あなたはならいつもどうやって日常に戻んだんよ。私に教えてくれよ。
あなたの目、私を捕えて泣いているね。私もあなたを捕えている私の目の中でまた捕まえて泣いているね。
私のゆううつは大抵、夏にあるの。冬には居ない。冬はさ、食べるからよ。
夏、基本動けない。暑くて、蒸し苦しくて。でもたまにカラッと晴れた日に外へ出ると、気持ちがいいのだ。気分がいいときは風を感じられるね。いいね。
たいていのゆうつのときは外へ出られない。外に出ても風は全然気持ちよくないし、天気が私のことを馬鹿にしてるんじゃないかってくらいに気持ちは曇天。
これがゆううつなのか。ゆううつの私はそれで泣いていたんだ。泣いて泣いて泣いている私がいたらあなたがいたの。あなたも私が泣いているから泣いていたんだね。
おしまい。
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大学4年生なので渋々現実と向き合うんです。勿論、私にできることなんてたかが知れているのでは、と思い。
今いる地点から動きたくて動けなくて倒れて寝ているフリをしている状態です。
どこからどこに行きたいのかは全くもって分かりませんがとりあえずどこかへ逃げたい気持ちあります。
今日のブログは手書きのノートに書いた文章をそのまま書き起こしました。一部はわかり易いように改編しましたが、いつもこんなことが頭の中にあります。
未だに私と対面している人が混合することがあります、もう特質として受け入れてます。
お仕事をください。
点を見上げる
小さい頃、たぶん5歳とか6歳とか。
死生観についてぐるぐると考えていたことを思いだした。
自分はどこから来たのか、そもそも自分自身の意識は何処からやってきたものなのか。
死んだら何処に行くのか。意識は?意識も無くなるのか。
命は産まれてやがて死ぬことを理解してから、不思議だと思い考えていた。
母親に「うまれるとき、どこから来るの?」
と話すと、母妊娠した時の思い出話をしてくれる。けど、そういう話ではない。
当時の友だちに話すと興味は持ってくれるが、語彙力と伝える力がなかったこともあり、話したいことは語れなかった。わたしは個性的な・・・いわゆる変人であった。
現在では自分がどこから来たのか、という疑問すら無くなり、目の前のことでいっぱいいっぱいである。
小さいころの私はこの何処からやってきたのかという「謎」を思い出すとき、天井を見る。天井の明るい一点を見る。電気をみる。光をみる。
そばらくそうしていると湧き上がってくる感覚がある。覚めているけれども夢の中ような不思議な感覚だ。
現在はその感覚は無くなってしまった。
いま、光を見つめ続けても夢の中へはいけない。
「謎」の答えが湧き上がる気がして幼いころの私
洗面所に寝転んで照明の一点をみる。
母親の声で覚めるまで、不思議の中にある不思議の話。
こんな身体に産んでごめんね
今、文章を書けると思ったので書きます。
ブログを書くより先にやらねばならぬことはたくさんあるのですが、息抜きに書きます
息抜きと言いつつも書き始めたついさっき(昼12時ごろ)に起きたばっかりなのですが。。まあいいか。
成長したらば自分の道は自分で描いていけ、ということについてです。
特に説教でも啓発でもなんでもないです。私の思ったこと。纏まりないです。
残念ながら私は普通の人間ではありませんね。
どちらかといえば普通よりかは劣っていて尚且つひどく個性的な人間です。
私の母親は普通な人間です。多分
今までもごく一般的に生きてきたらしいです。
健康で、特に道を踏み外すこともなく、誰からも嫌われることはせず、謙虚に生きてきたらしいです。これが母のいう普通だそうです。
私が普通ではないのは母の言う”普通”から外れているということです。
母親は私を普通の人間に産みたかったらしいです。正しくは普通の人間に産んで”あげたかった”。
母に最近(ここ一年以内)言われました。
涙目で「あなたをこんな(障害のある)身体に産んでごめんね」。
これを言われたらあなたならどう思いますか。また、どう返しますか。
私はこの言葉を「産まれてきてくれてありがとう」の対義語だと感じて受け取りました。
言葉は本当に難しいですね、感情もまた子どものうちはうまくコントロールできないと難しいですね。
この手の謝罪は悪意のない暴力に感じました。てか誰に謝っているんだろうね。本当に謝るつもりで言っていないんじゃないかな。
普通ってなんでしょう。障害のないことなんですかね。障害ってなんでしょう、病気があってそれを障害と呼ぶのならば、その人にとっての普通、また一般的はどこにあるのでしょうかね。
母は今でも子供大人な部分があると感じます。昔、啓発本を買い漁るに、自分の正しい生き方を探しています。おかげで家の本棚は啓発本だらけです。
自分の子どもが可哀そう、というよりかはこれでは自分が可哀そうという具合になっている気がしてなりません。
一方で私の普通は日々変わります。
気分でも勿論ありますが、影響されやすいのは身体、病気の進行具合で私の普通は変わっていきます。
不可能なことも増えていきます。今無理なことは無理です。
現地点でいうと、自転車に乗ることが無理になりました。自転車という乗り物は最早私にとって普通の乗り物ではないです。
ハンドルを操作するだけで精一杯なのに身体を左右に平衡をとってるのがすごい。今の自分は無理。片手運転でスマホいじっている人とかどこの大道芸人だよと思っています。これは危険だからマジでやめてほしいです。
父は同じ病気で、父の普通は元気な頃の自分に合わせて普通の基準を置いているらしいです。
先の自転車の例だと「まだ自転車に乗れます!、練習すれば乗れます!」と言っているようなもんです。いや、無理ですよ。
このように思うことはあまりにも不自由だと思います。今でも父は病気を治して自分の足で歩きたい、と強く願っています。脊髄小脳変性症で今できるのは現状維持です。リハビリを続けていかない限り、身体はかたまっていきます。
これからの医療を信じて希望はありますが、自分の思う普通の基準を現在に持っていかないとどんどん気が滅入りますよ。
きっと母が買い漁っていた啓発本はそれぞれの著者の「普通」なのだと思います。
悪いように言ってしまえば読者への自分の「普通」の押し付けです。
「こんなときはこう考えましょう」とか、「相手にはこんなことをしましょう」とか、ぜんぶ著者の押し付けです。そんなの線路に無理やり走らされているようなものですね。
余計に生きづらいです。
自分の持つ”普通”は自分でもっていないとならないと思います。
幼いころは親や先生の描いたレールにのります、成長して自分で描きたくなったら自分の走る道は自分で描いていったらいいんですよね。それができない人は大人になれていないと私は思います。うまい下手は誰も決めません。私の両親の話はあくまで私が第三者視点からみた主観にすぎません。
それぞれの人がもつ”普通”はそれぞれ違う。”普通”と”一般的”は違うということ。
”普通”がたくさんあるように正しい答えは一つではない。
最後に母の言葉に私はそんなこと言わないでくれ、とだけ伝えました。
伝えるべき言葉はそれだけでよかったんだと今でも思っています。
長い文章ここまで読んでくれてありがとうございました。
コメントお待ちしております。
絵を燃やされた話
毎日が暑いですね。
このところずっと天気が情緒不安定すぎて困るこの頃です。
梅雨の風物詩の紫陽花も終わってしまい、むわむわの空気の中、マスクがまだ外せずにいます。
花粉症や近頃よく咽やすいのも相まって恐らく外ではマスクとずっとお友達だと思います。マスク外してる人をみると人の顔ってこんなに個性があるんだったな、と思わされます。
さて本題
私は自分の絵を燃やされたことがあります。
しかしそれには語弊があります。
正しくは儀式として、葬儀の際に棺に入れられました。
それは私が決して望まないことでした。
一部の人、いいえ日本人ならば尚更大人ならばそれは誇らしいことで大切なことと思うかもしれませんね。
しかし、私はこの絵だけは燃やしてほしくなかった!
実際、今は燃やされて欠片さえなくなってしまったのですが。
もう二度と手にとってみることは叶いません。記憶の中で埋め合わせて鑑賞するしかないのです。。
その絵は4歳ごろ、折り紙の貼り絵とクレヨンを使って描いたものでした。
桜を模した絵でした。桜の木の下に人が3人ほどいました。
どのように発想をもらったのか分かりませんが、自分自身で達成感をもって完成させたものということということだけは覚えています。
母親の字でこれは誰でこれは何でという補足で書かれていたのを覚えています。
今思えばその補足はいらないものと思いますが。。まあいいや
その絵はおばあちゃんへ、ということで田舎のおばあちゃんの家にありました。
そしてその絵は田舎の家に長く飾られていました。クリアファイルに入れられて。それから約10年間、私はおばあちゃんの家に行く度に自分で描いた?絵をみては見惚れていました。非常に自画自賛で恥ずかしいことですが、家にある他の絵より長けていてそれだけの魅力がありました。
しかし10年後、起こってしまいました。
ひいばあちゃんが死んだのです。そしておばあちゃんは家中をみて、ひいばあちゃんに添えるものを探していました。
そして目についたみたいです。私の絵が。
裏を見たら母の字で「おばあちゃんへ」と書いてあります。
これだ!とおばあちゃんは思ったようです。
そして私の絵は儀式とともに燃やされてしまいました。
そのことの末を電話口で母伝いに教えてもらいました。既に絵がなくなったあとです。
私は微妙な気持ちになりました。
母はよかったね、と言いました。
良かったんか?私は「そっか、そうだね。」と言いました。
以上です。不謹慎と思いましたか?
思ったことがあったら是非コメントください。
そのうちおばあちゃんの田舎に行きたいです。あの空気、大好き。
無意識に相手に合わせること
人の話を聞くとき、人に同意することを前提としていることが無意識にある。
それはあまりその話し手に興味を持っていないことなのではないであろうか。
後になって聞いていた話を思い出して、話し手のとは全く違う自分の意見が生まれることは多くある。
そして後悔するのだ。
どうして私は、思ってもいなかった意見を持ってしまったのたと。
後悔するくらいならば、人の話に興味を持っていないということはないと思うだろう。
私はよく人の話を聞き飛ばすのだ。
聞いてないことはてきとうに相槌を打ったりすることもある。
私にとって話すこととは、時間を埋めるものである。
ためになる凄い方のお話でもてきとうすぎる雑談でもそれぞれ平等に時間を埋めてくれる。
しかしどんな話でも聞くときに相手に同意をすることを前提にするという姿勢は直したいと思っている。
無意識に嫌われたくないという気持ちがでていることでの行動なのだろうが、相槌をついて話を聞くことなど誰にもできるのだ。