にんげん

にんげんである限り

点を見上げる

小さい頃、たぶん5歳とか6歳とか。

死生観についてぐるぐると考えていたことを思いだした。

 

自分はどこから来たのか、そもそも自分自身の意識は何処からやってきたものなのか。

死んだら何処に行くのか。意識は?意識も無くなるのか。

命は産まれてやがて死ぬことを理解してから、不思議だと思い考えていた。

母親に「うまれるとき、どこから来るの?」

と話すと、母妊娠した時の思い出話をしてくれる。けど、そういう話ではない。

当時の友だちに話すと興味は持ってくれるが、語彙力と伝える力がなかったこともあり、話したいことは語れなかった。わたしは個性的な・・・いわゆる変人であった。

 

現在では自分がどこから来たのか、という疑問すら無くなり、目の前のことでいっぱいいっぱいである。

 

さいころの私はこの何処からやってきたのかという「謎」を思い出すとき、天井を見る。天井の明るい一点を見る。電気をみる。光をみる。

そばらくそうしていると湧き上がってくる感覚がある。覚めているけれども夢の中ような不思議な感覚だ。

現在はその感覚は無くなってしまった。

いま、光を見つめ続けても夢の中へはいけない。

 

「謎」の答えが湧き上がる気がして幼いころの私

洗面所に寝転んで照明の一点をみる。

母親の声で覚めるまで、不思議の中にある不思議の話。