にんげん

にんげんである限り

絵を燃やされた話

毎日が暑いですね。

このところずっと天気が情緒不安定すぎて困るこの頃です。

梅雨の風物詩の紫陽花も終わってしまい、むわむわの空気の中、マスクがまだ外せずにいます。

花粉症や近頃よく咽やすいのも相まって恐らく外ではマスクとずっとお友達だと思います。マスク外してる人をみると人の顔ってこんなに個性があるんだったな、と思わされます。

 

 

さて本題

 

私は自分の絵を燃やされたことがあります。

しかしそれには語弊があります。

正しくは儀式として、葬儀の際に棺に入れられました。

それは私が決して望まないことでした。

 

一部の人、いいえ日本人ならば尚更大人ならばそれは誇らしいことで大切なことと思うかもしれませんね。

しかし、私はこの絵だけは燃やしてほしくなかった!

実際、今は燃やされて欠片さえなくなってしまったのですが。

もう二度と手にとってみることは叶いません。記憶の中で埋め合わせて鑑賞するしかないのです。。

 

その絵は4歳ごろ、折り紙の貼り絵とクレヨンを使って描いたものでした。

桜を模した絵でした。桜の木の下に人が3人ほどいました。

どのように発想をもらったのか分かりませんが、自分自身で達成感をもって完成させたものということということだけは覚えています。

母親の字でこれは誰でこれは何でという補足で書かれていたのを覚えています。

今思えばその補足はいらないものと思いますが。。まあいいや

その絵はおばあちゃんへ、ということで田舎のおばあちゃんの家にありました。

 

そしてその絵は田舎の家に長く飾られていました。クリアファイルに入れられて。それから約10年間、私はおばあちゃんの家に行く度に自分で描いた?絵をみては見惚れていました。非常に自画自賛で恥ずかしいことですが、家にある他の絵より長けていてそれだけの魅力がありました。

 

しかし10年後、起こってしまいました。

ひいばあちゃんが死んだのです。そしておばあちゃんは家中をみて、ひいばあちゃんに添えるものを探していました。

そして目についたみたいです。私の絵が。

裏を見たら母の字で「おばあちゃんへ」と書いてあります。

これだ!とおばあちゃんは思ったようです。

そして私の絵は儀式とともに燃やされてしまいました。

 

そのことの末を電話口で母伝いに教えてもらいました。既に絵がなくなったあとです。

私は微妙な気持ちになりました。

母はよかったね、と言いました。

良かったんか?私は「そっか、そうだね。」と言いました。

 

以上です。不謹慎と思いましたか?

思ったことがあったら是非コメントください。

 

 

そのうちおばあちゃんの田舎に行きたいです。あの空気、大好き。