1年経った
脊髄小脳変性症と診断されてもうすぐ1年。
私の場合は父親からの遺伝なので、生まれてからその遺伝子は持っていたということだけれども。一応書類上での発症年月は去年ということです。
この病気の症状は主にふらつきや、手の震え、ろれつが回らない等です。
今はそれぞれが少しずつ出てます。あとは足のつっぱりと少々の排尿障害。
本人にこの病名を言わせるのって酷じゃないですか?
「せきずいしょうのうへんせいしょう」
たまに小脳脊髄・・・と言ってしまうのでちゃんと覚えましたよ、、。
面倒くさいので、よく別名の「マシャドジョセフ病」と言っていますがほとんどの医療関係者には通じません・・。
最近の体調の変化はまあ良くはないですね。定期的に大学病院に行きますが、先生にはいつもこう言ってます。ずっと言い続けるんじゃないかな・・。こわ。
自分が病気と自覚するようになってから、余計に神経使うようになったのもありますが、結構な頻度で滑ったりこけたりぶつかったりします。
家の中で。。
外にいるときは、自分の安全と安心のためと周りから配慮をしていただくために杖をついています。高校生の時は満員電車で学校に通っていましたが、正直もう無理です。。
あるときに階段でこけてしまいました。自分は受け身をとれないことに恐怖を覚えていました。そのときは大丈夫でしたが、後ろにいた人には笑われてしまいました・・。
それ以来、杖を持つことの安心感に頼っています。
友達には説明と配慮をしてもらって有難みと少し申し訳ない気持ち半々ではありますが・・。
あ、でもまだ一応走れますよ!おばあちゃんではないので足腰はまだ丈夫です。。
たまに急がないといけないときに杖を持って走っているのですが、きっと周りの人は不思議な目で見ているのでしょうね・・。
これから進めばできることが限られていくと思いますが、たくさん動いて自分に合った足の置き方、バランスの置き方を考えていきます~。。
ぼちぼちブログも更新しますね。
考えて生きよ・・。
搾取とAV女優
今回の記事はアダルトな内容を含みます。
アダルトビデオとその女優さんはすげーな、っていう話しです。
苦手な方はご注意して閲覧してください。
アダルトビデオ女優であり、文筆家である方、Mさんの本を読んだのでレビュー代わりに軽く批評のようなものを。
アダルト女優はもはや、向いてない人になってほしい世の中になってきていると思う。Mさんもその1人であると勝手ながらに思う。
そもそもアダルトビデオ(以下AV)に向いている人とはどんな人なのだろう。痴女のような人か、学生のように幼い顔を持つ大人か、お金がなくてとりあえず早く稼ぎたい女か。
近年では求められる傾向が変わりつつあり、「ごく普通の一般人」として生活をしている人への需要が高まってきている。一般人、アダルトビデオの素人が裏の顔を見せてしまうということが、現代の世間一般ではとても興奮するのである。
パパ活が流行しているのも関係していると考える。下で軽く触れる。
その素人としてのままMさんは清純派AV女優として門をくぐったのだと思う。
しかし素人としての本当の初々しさは初めての時と2、3回目の撮影でほぼおしまいである。それはもちろん慣れるからである。
どうして清純派を続けることができるのだろうか。黒髪だから?可愛らしい体型のせい?性格のおかげ?どれも違うと思う。
読んだ本には「AV女優業界は体育会系である」と書いてあった。「話し込んでいるからと、気を使って挨拶をしないでいると先輩女優に嫌味を言われる」とそう書いてあった。
人に気を使って大人しい人には向かない、そのうちに心が折れてしまうという職種であることは分かった。本にあるように、人の世話を焼きがちですごく気を使ってしまうタイプのMさんがなぜ、ここまでAVを続けていられるのだろうか。端的にすごい。
私の持論でMさんのスタンスについて考察をしてみる。
まず、Mさんが搾取され続けるAVに主演することを止めないのかというと、Mさんには性行為という概念が、直接“人を愛する人とすること”に結びつかなかったからである。そして清純派を続けられるのには、“人から愛されること(愛されていること)にまだ気がつかない(気がつけない)”からであると考えた。
そもそも現代人が抱く、性行為自体の概念そのものがひと昔と比べてかなり変わってきているのだと思う。そうでなかったら、パパ活をする学生も、マッチングアプリでワンナイトをする相手を探す人もこんなに溢れないだろう。
一体どう変わっているのかというと、上に書いたように聖行為を“愛する人とすること”から現代、ここ数年では“お互い、もしくは片方が相手に対して熱を求めること”として変化が徐々に起こっている、そんな風に考えた。つまり、恋愛感情が全てではないということである。
ここでいう熱とは物理的な熱であったり、寂しさだったり、満たされなかった愛着を埋めるためであったりだ。これは男女に限らずに持っているものだと思っている。
Mさんはその性に対する曖昧さを絶妙な加減で利用してAV女優を演じているように感じる。かなりのねじれ者であると本を読んで率直に思ったが、今ではそれがいいのだと思う。世界中で多様性が謳われる今、Mさんは「私はこれでいいのだよ」と教えてくれた。
AVの話に戻る。AVとしての位置付けで“なるべく隠れて観るもの”、“普段ではない、声で喘ぐこと”、“過激な性行為をすること”と、映像自体にはあまり変化はないように思える。
しかしAV女優側からしたらそこに対する、自分が搾取されることへの意味づけを自ら付け加え続けているのではないだろうか。
AV業界にとても興味を持っていた時期に丁度この本を読んだが、
私には全く何も考えないか又はすごく色々考えるかどちらかにならないとやっていけそうにもないので、やらない。
そしてこの本は決してAV女優を後押しするものでもなく、ただただちょっとひねくれ者のMさんのエッセイであるということを注記しておく。
今日はこの辺で。
こんなことを考えながらAVを鑑賞をする人は私くらいだと思うね。
軽くミニレポート書いた気分だよ。
妄想と想像
私はよく妄想をする。
最近で言えば妄想というよりかは想像の方が近いだろうか。
妄想はもっと自分の内部で起こっていることであるから、
という訳で私はよく想像をする訳である。
例えば、それは電車に揺られている時。
私は電車に乗る時には音楽を聴きながらよくぼーっと車窓をみている。地下鉄のときもよくぼーっとしているとこが多いので怪訝な目で見られていることがある気がする。
K線で都心に向かうとき、色の違うたくさんの電車が互い違いにたくさん止まっているのをみた。
K線に乗っていることで私は動いているために、その車両たちは吸い込まれるような感覚を感じた。
それをみてたくさんの車両が1点から一気に外に広がるという想像をする。ある1点から四角柱の柱(電車)がうにゃりとというような。
メモを取らないとそんな想像はすぐに忘れてしまうのでスマホのメモでたまにだが、メモを取る。しかし、覚えていないことが大半である。
その予防方法として考えたこと。
○鮮明にメモをすること
○記憶そのものを明確にされること
当たり前なことすぎると思う。
私はリカバリーはしているが統合失調症であるために、過去しばしば訳の分からない妄想をしてあることがあった。
今では妄想まではいかずに想像に留まっていることが有難い。
因みに統合失調症の妄想である場合には上記の〇2つは守らない方がいいと思う。
今日の記事は電車の中で書いていました。
追記:
簡単にドローイングしました。
植物のようなイメージ。
電車は無機質なものでパースとかとるべきなんだけど、苦手なのでイメージ上では放棄です。電車好きの方、これを電車といってすみません!
自分がイメージしてるもの(描きたいもの)とはかけ離れてるんだけども、それは数を描いてイメージと動く手が同じかんじになるまで頑張らなくてはね。
今日はこの辺で
2022/01/26の夢
夢を見た。 一回だけ会ったことのある女の子と凧揚げをする夢。
広い河川敷の土手だった。 他にもたくさんの親子連れのような人たちがいて、私たちはその中を駆け巡って凧をあげていたんだ。私たちの他にも凧をあげている人たちはいて、各々自分の言いたいことや伝えたいことを凧に載せてそこにいる人たちに見せびらかしたりしていたんだよ。 女の子と私の凧はピンクと黄緑のシンプルな凧だったね。 何を伝えようともなんのシンボルもなかったね。 でも他の凧と競走できるくらいには大きかったよね。
凧揚げを終えて自分たちの持ち場に帰るとそこには私の母と、その母がいた。 私から見れば母と祖母である。女の子から見ればおばさんとおばあさんだ。 母と祖母は女の子に執拗にものを食べさせてくる。 私は朝ごはんのこしあんまんを食べている。 女の子は私のこしあんまんを羨ましそうに見ているので、一口あげると もうお昼なんだからしょっぱい方がいいでしょう、と祖母が言う。 こっちのつぶあんぱんも美味しいよ、と母が言う。 自分の口に持っていかれている食べ物を困った様子で見ている女の子を見て目が覚めた。
要らぬ世話焼きをついついしてしまう、私の母と祖母であるが 生活していて気づくが、多かれ少なかれ私も継承しているところがあるだろうね。あんまんとしょっぱめなおかずを差し出してるあたりがすごくユニークだよね。
今までよりこれから、自分のために時間を費やしていい、人のことは二の次くらいでいいんだよ、私は私に言い聞かせた。 夢の話。